サッカーにおける「言語化≠指導」の言語化
「言語化」の地位向上と戸田和幸さんの監督解任まで
どんな世界でも「言語化」は人に伝える手段として非常に重要なものですが、サッカーの世界ではこの「言語化」の重要性がここ10年程で著しく注目されるようになってきたと感じています。特に解説者における需要の変化は著しいものがあり、以前は「もっとシュートを打つべきですね」「決定力が必要です」程度の濃度でも十分に解説とされていたものが、現在においては選手個々の立ち位置や動きの質、チームコンセプトや細かな狙いにまで焦点を当てる解説者が望まれるようになってきました(ライト層向けの解説にも需要はあると思いますが傾向として)。その中で近年評価を上げていた解説者の1人が、元日本代表選手の戸田和幸さんです。現役時代は汚れ役を厭わない中盤の潰し役、ファイター的なキャラクターとして認知されていた戸田さんですが、解説者転身以降はピッチ上の細部にまで言及する理論派の解説者として評価を上げながら指導経験を積み、2023シーズンからSC相模原の監督に就任。しかし2024年6月に監督を解任されました。
この解任に際し溢れるように出てきた戸田さんの評価を探っていると「解説者としてあれほどの言語化ができても監督として結果を出すのは難しかった」という評価がチラホラと見受けられたのですが、確かにと思う中で自分の中に違和感があり、もしかすると「言語化」と「指導」を混同させてしまっている方が多いのではないだろうかということを感じています。
ツールとしての「言語化」と指導の目的
確かに言語化は指導において非常に大きな武器になりますが、あくまでツールの1つであり全くの別物です。言語化の理想形は「誰が聞いても(読んでも)同じように受け取れること」だと思いますし私もこのサイトで文を書くときにはそれを目指していますが、指導とはピッチ上で表現することが全てであり、その手段として目の前に実在する人間に伝えるという過程があります。そして1対多が基本になる言語化とは違い指導は究極のところ1対1です。勿論実際の指導では例えばサッカーなら1チーム20人程度はいるでしょうからこの場合1対20となるわけですが、これは指導という目線で言えば1対多ではなく、1対1が多数ある状態です。そして1対1で伝えればいいということは、極端な話をすれば「そこガーッと行って!」のような端から聞いたら何を言っているか分からないような言い方であっても、当人に伝わり実践できていればいいのです。
結果はあくまでピッチ上、それが指導です。
「一」を描かせる「言語化」と「指導」
「言語化」と「指導」の一例として、皆さん「一」はご存知でしょうか。…というのは流石に馬鹿にしていますね。漢数字の「一」です。書道ではほとんどの場合この「一」を最初に練習するかと思います。
さてこの「一」を描くということを全力で言語化したらどうなるでしょう。筆の入射角は◯度で力は筆から◯度傾けた方向に◯N、◯mmまで沈み込んだタイミングで◯度方向に秒速◯mで動かして…
バッチリですね。これなら誰もが全く同じ「一」を描けるはずです。では、これを子供に教えて素晴らしい「一」を描いてもらいましょう。
…無理ですよね? 書道の先生がこんな教え方をすることは絶対に無いでしょう。実際は「左上から筆を入れて少しだけグッと押し込んで、力を抜いて右にスッと伸ばして…」と教えるわけです。先程書いたような角度や速度を事細かに伝えるのは完璧に正しい言語化かもしれませんが、言語化されたその内容だけで子供が半紙の上に美しい「一」を描くことはまずできません。しかし、書道は半紙の上に何が描かれているかで評価されます。いくら事細かに言語化されていたとしても、最後は半紙の上が美しいかどうかが問題です。
サッカーの指導も同様ですね。重要なのはピッチ上で何が起きるかであって、正しい言葉を並べることではありません。極論を言えば、嘘を教えてもいいのです。言語化とはそこが違います。非常に悪い例えですが、「殺すつもりでぶつかれ」と選手に言うのは今なら極めて不適切な指導と言われるでしょう。しかし「強い気持ちを持って全力でぶつかれ」というニュアンスは確実に伝わります。こういう例が実際の指導の場では多々あるものです。本当に殺してしまっては困るので「殺すつもりで」というのは当然嘘なのですが、重ね重ね大切なのは、ピッチ上で何が起きるかだということです。故に指導は知識だけではなく、知識をピッチ上に還元するという専門性が求められます。
指導の専門性
現役指導者ではない私がこの話題に触れるのもおかしな話な気はしますが、実際の指導の現場において言語化以外のツールが何かという話です。
1つは感覚を伝えることですね。例えば水の温度の話をするとして「45℃」という表現は確かに正しいですが、温度計が手元に無い場合は「手首まで入れて熱いけど2秒なら耐えられるくらい」と言われた方がイメージしやすい方も多いです。全員に通じるとは言いませんが前述の通り指導は突き詰めると1対1なので、目の前の相手に伝わるかが勝負です。温度計で計ることしかしていない人には「45℃」としか表現できないことでも、実際に手を突っ込んだことがある人ならその感覚を伝えられます。サッカーの話に戻せば、選手経験や指導経験があればこういった感覚を伝えやすいということになりますね。実際の指導でも例えば言語化してしまえば「コントロール」「キック」となるものも実際ボールを使ってプレイすれば、「触る」「止める」「弾く」「叩く」「押す」「引く」「潰す」「貫通させる」と感覚は多岐に渡ります。これを目の前の相手に伝え、ピッチ上で使えるようにするというのは単なる言語化とは全く違う分野の話です。
ここではコントロールとキックの話をしましたが、認知や判断といった部分でも大いに感覚的な指導というのは出てくるものなので、1対多を前提とした言葉だけでは伝わらないシーンが指導の現場では本当に多く存在します。
もう1つ言語化とは違うツールを挙げるとすれば、手本を見せるということでしょう。昨今はyoutube等でも多くのプレイや指導映像を観ることができるようになっていますが、やはり実際に生で見るというのは特別です。個人的な感覚で話をさせて貰えば、特にイマジネーションは自分よりイマジネーションのある選手とプレイするのが一番身につきますね。伝わりにくいかもしれませんが、アイデアは伝染します。チーム内の上手い選手がやっているプレイは、味方もやるようになります。フェイントもチーム内で流行します。本当です。
例を出すのも難しいところですが、例えばブラジル代表のヴィニシウスがレアル・マドリードで数年プレイする間にモドリッチのようなアウトサイドでのクロスを上げるようになりました。明らかにレアル・マドリード加入初期には見られなかったプレイです。これと同じようなことがどんなレベルのチームでも起こり得ます。それだけ目の前で見るということには価値があるのです。これは言語化のしようが無いので、「現場ではそうなのだ」と言うしか無いですね。
SNSが招く「言語化」と「指導」の混合
少し別の話題として、これは私が個人的に危機感を抱いている部分なのですが、最近SNSでサッカーの技術や動作に関する内容を公開するインフルエンサーが増えています。彼らは分かりやすい言葉で要所を説明してくれるので読んでいて納得感があり非常に面白いのですが、私はこれに怖さを感じています。インフルエンサーの言葉は分かりやすいだけに分かった気になってしまう、これが問題なのです。数千、あるいは数万のフォロワーがいるようなインフルエンサーであれば、公開している内容に対する知識は十分以上に備えており、内容が間違っているということはあまり無いでしょう。しかし正しければ何も問題は無いと言えるでしょうか。
ここまで読んで頂いた皆さんならおそらくお察しかと思いますが、ネット上で言語化・公開している当人が十分な知識を持ち正しいことを言っていたとしても、それを読んだ人が選手に落とし込めるかは全く別の話です。前述の通り、知識をピッチ上に還元するには専門性が求められますし、その知識が受け売りであれば尚更注意が必要になります。個人的に「ネットで見つけたサッカーの裏技」くらいのノリで自分の子供やチームの子に教えてしまうようなことが無いかが心配ですね。
特に注意しなければならないのが重心移動やフォーム作りといった動作に係る内容です。これらの踏み込んだ内容は、理解が浅いままに実戦すると取り返しのつかない悪癖を身に付けてしまう可能性もあります。勿論得た知識をピッチ上に還元せんと挑むのは素晴らしいことですが、実践するならまず自分を実験台にし、完全に自分の言葉で説明できるレベルまで向上することが必要ではないでしょうか。年齢やスペックの問題でそれができないのであれば専門家に指導を委託する等、選手を第一に考えるからこそ自分で教えない勇気を持つべきだと私は考えます。
最後に
「言語化」はピッチ上で起きていることをピッチ外に伝える、プレイ経験が無くともあるいはルールの細部を理解していなくともよりサッカーを楽しめるようになる素晴らしい行為だと思います。しかしピッチ上で起きていることを言語化する際には、ピッチ上に選手を送り出す指導者は他人に自分の考えをピッチ上で表現させるという、本当に難しいことをしているのだと理解すべきでしょう。ですから、言語化されたものを理由に選手や指導者に対して中傷やそれに近い批判をすることは控えて頂きたいと願うばかりです。そして指導者は指導において大きな武器となる言語化に多くの人間が挑んでくれていることに感謝し、ツールとして活用することでピッチ上がより発展していけば本当に素晴らしいことですよね。こうしてお互いに理解しリスペクトし合うことでよりこれからのサッカーがより面白くなることを望みつつ、今回は終わりにしたいと思います。